太田熊雄窯の窯元・太田孝宏(51)は「共同体意識は大切。しかしそれに甘えるだけではいけない」と自らを戒める。太田は昭和三十四年、一子相伝の窯元の慣習を破って亡父熊雄とともに分家筋で初めて窯を築いた。それまで八、九軒を数えるだけだった窯元が、五十を超すに至るきっかけだった。
太田の持論は「生み出される製品までは共同体に頼ってはならない」。小石原焼の名前で売るのではなく、自分の技術、持ち味を生かす努力が大切、というのだ。梶原とともに「売れない小石原焼時代」を知る数少ない陶工の目と言葉は厳しい。
=1994(平成6)年1月30日付『西日本新聞』朝刊「やきもの陶の里の詩」から